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祖母永眠

6/1夜、95歳の祖母が亡くなった。○川家の御大。原因は老衰。大往生。翌日より即帰省。祖母の眠っている顔はとてもおだやかだった。その顔を見ていて、ふと思う。この人にとって、良い人生だったのだろうか?私は何かをもたらせたのだろうか?そして、祖母は私に何を残して行ったのだろうか?本家、分家、子供、孫、ひ孫と非常に人数が多い。喪主の父に習い、本家の長女という役割を果たすべく数日中心にいたことにはなるのだが、大学入学とともに東京に出てしまった私にとってはなんとなくむずがゆい状況だった。そして、告別式の翌日、ここ数年みんなの中にそれぞれたまっていたものが爆発した。想定内だ。大所帯ならでは?の多少複雑怪奇な関係性。それぞれの言い分、感情、立場・・・どうすれば収まるのか、もやもやを解決できるのか・・・仕事と同じだ。ただ違うのは肉親であるが故の感情と魂。ガス抜きと誘導。この時のために、今の仕事を選択したのではないか、と思うほど経験が役に立つ。でもその後の経過は見れない。一過性の収まりでないことを祈りたい。そして、もう一つ。東京でのブランドづくりや広告についての疑問。地方では対して必要とされていないのでは、ということ。ブランドなどという意識ははっきり言って生活に欠かせないものではない。正直、日々の肉や魚がいくらか、だけだ。自給自足の範囲の広さにも寄るのかもしれないが、景気も不景気も対して影響しない強さ。だからブランド論は遠ざかっている。決して情報過多ではない。でも本当に必要な事項しか情報にはならない気がした。東京とか地方とかの区別ではなく本当に必要なものは何なのか、そんな疑問を持った。そして、ついでに合間をぬって畑を耕運してイモの苗植えを手伝ってきた。若者が年配者を助け、年配者が若者に伝える。ゆったりした時間が過ぎる。東京でのあわただしさと地方でのある意味人間的な生活。どちらも貴重な1日だ。別に何かの答えが出るわけでも、求められているわけでもない。ただ、なぜか今回の帰省は感じさせられる部分が多い。もちろん、ただの帰省ではないことを差し引いても、だ。今年は自分自身の区切りの一つとして、いくつかの基盤を固めようと思っていた。その中にこの祖母の件は何かの方向性を見出す一つの選択肢になるのは間違いない気がした。ただ、しばらくは気持ちのどこかに少し穴が開いている感じは否めない。。。

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